会場は、初日よりもさらに強化された新型コロナウイルス対策っぷりでした。
初日から対応されていたサーモグラフィ設置、換気、出待ち禁止に加え、休憩時間を長めにとって更なる換気の徹底(窓や出入り口も開け放っていました)、マスク着用(着用のない人向けか、マスク配布もされていました)、飲食物の紙コップ提供などもされていました。
73回目の上演とのことです。
マチネで1番の驚きは、ジェルマン・ルーベ演じるレンスキーでした。
登場したときからオネーギン出てきた?と思わせるような洗練された貴族感で、この貴族的なレンスキーなら多少でも馬鹿にされたらすぐに決闘してしまうかも、と思わされました。
この十分にノーブルなレンスキーを差し置いてなんでオネーギンにいってしまうのだ、オリガ…
1幕も2幕も彼のヴァリエーションはとてもクリーンで、特に決闘前のヴァリエーションが秀逸で、上体をそらせる場面の背中の柔軟性は素晴らしかったです。
当面、これを超えるレンスキーを踊れる人は観れなさそうな気さえしてしまいました。
マチュー・ガニオのオネーギンは、1幕から、他人を心から信用することができないんだな、と感じられて、なんだか可哀そうな人に思えました。
とても紳士的で、表面上は優しく儀礼も尽くしますが、自分の価値観からはずれるような他人を侮る傲慢さや奢りがあり、ほとんどの人を見下しているようです。
タチヤーナの手紙をどこか彼女を諭すかのようにして破ってみたり、レンスキーに現実を悟らせるがため、女性なんてこんなもんだよ、とでも言いたげにオリガを誘ってみたり、自分はものすごく“正しい”と思っているし、さらに自分の経験からくる認識を他人は受け入れるはず、むしろ、そうすべきものだ、とすら思っているようでした。
レンスキーを殺してしまった後、自分の価値観に対する自信を多少は失ったでしょうが、それでもなお、彼は奢った考えを消し去ることができず、自分にとって"正しい"今のタチヤーナは自分を拒絶すべきではないのだ、とまで、どこかで信じてしまっていたのかもしれません。
一度は見下していただろうタチヤーナに、後ろめたく手紙を書いて勢いよく彼女の部屋に駆け込んでくる、焦っているかのようなオネーギンはとても滑稽で、ことさらに哀れに思えました。
ジゼルのアルブレヒトもそうだったのですが、オネーギンもマチュー・ガニオが演じるとなぜか憎めないと感じてしまうのが不思議です。
観た直後には、もしかしたら彼自身、演じるオネーギンのことを可哀想な人、と第三者的に思って演じているのかもしれない、と感じました。
アマンディーヌ・アルビッソンのタチヤーナは、知的で物静かで内気っぽい雰囲気がとても自然でした。
そして踊りがとても美しかった。
特に脚とつま先の美しさが並外れていてそこにばかり注目してしまったように思います。
鏡のパ・ド・ドゥの場面、彼女がリフトされて天に上げた脚は見とれてしまいました。
(パ・ド・ドゥ自体は、ガニオとアルビッソンの身長差があまりなかったからか迫力に疾走感に欠ける感ありましたが…)
彼女のポアントで立っている時の足や甲も非常に美しかったのですが、特にドゥミ・ポアントからポアントにする時や、ドゥミ・ポアントから地を離れる時などの足の甲や土踏まずのラインには眼が釘付けになってしまいました。
オリガのレオノール・ボラックも、レンスキーとのパ・ド・ドゥでのデヴェロッペで高くあげた脚のキープがとても美しく長く、印象に残りました。
パリオペの多くの女性ダンサーに感じたことでもあるのですが、ストゥニューやデヴェロッペ、アチチュードからアロンジェ、出した足を別のポジションへ持っていく時など、最終的なポジションに持って行くまでの動きが非常にゆっくりで粘っこい、その動きになんとも言えない優雅さがあると思いました。
3幕のパ・ド・ドゥ、マチュー、アマンディーヌとも比較的抑えめの演技だったと思うのですが、それ故に一瞬の表情が強烈に印象に残りました。
オネーギンが床に座りこんだ状態でタチヤーナの手を引く序盤、一瞬、上目遣いでタチヤーナを見上げるオネーギンが子犬のような何とも言えない目をしていて…私はまんまとやられてしまい、タチヤーナがこれを拒絶できるはずがないとまで思えました。
事実、アマンディーヌのタチヤーナは揺れに揺れてほとんどオネーギンに身を委ねそうになってしまいますが、それでもなんとか振り切って、オネーギンに「出ていって」と指し示し、拒絶する。
そのタチヤーナにオネーギンがすがりつくシーン、二度目に出口を指し示す前に見せた彼女の、天に向けた、オネーギンへの未練が強く残っているの感じさせるような苦悶の表情が個人的に絶妙で、切なく胸に刺さるようでした。
マチネではすさまじくノーブルなレンスキーでしたが、ソワレのポール・マルクのレンスキーはジェルマン・ルーヴェよりは率直で人の良さそうな、より王道に近いレンスキーだったと思いました。
ジェルマン・ルーヴェのあの柔軟性を観た後だと、踊りはちょっと物足りませんでしたが、脚のラインが綺麗だな、と思いました。
オリガを演じたナイス・デュボスクは小顔でスタイルが抜群。
1幕、レンスキーとのパ・ド・ドゥではマチネのレオノール・ボラックのデヴェロッペのキープを見た後だとやはり物足りず、ポール・マルクとは身長差がなくてちょっと辛そうに見えました。
しかし、2幕のオネーギンとオリガがレンスキーをおちょくりながら踊るシーンではオリガの無邪気さが良く表現されていて、あれはレンスキーが怒ってしまうのも納得でした。
マチュー・ガニオの憐憫をさそうようなオネーギンと打って変わり、ユーゴ・マルシャンのオネーギンは非常に強烈で、初っ端から大変に嫌なやつ感満載でした。
冷たい表情でどの場面でもひたっすらつまらなさそう、ちょっと表情を崩したと思ったら、タチヤーナに本を返す時の大変小馬鹿にしたような顔をしていました。
マチュー・ガニオの時はどうしてムカつかなかったのかわからないくらい、オネーギンが悪魔のように嫌なやつだと思えました。
鏡のパ・ド・ドゥは、鉄仮面オネーギンが素晴らしい笑顔で登場しますので、非常に別人とわかりやすかったです。
(タチヤーナはあのオネーギンから良くこの夢を見られるものだ、と思いつつ、)タチヤーナに優しく笑いかけるオネーギンに幸せ絶頂のタチヤーナ、この甘美な夢がずっと続けばよかったのに…と思いました。
2幕のオネーギンは、カードいじりを始めるも、それすら飽きてしまい、自分の爪をいじり始めまでする、ひまつぶしに余念がありません。
このつまらなさが伝わるような細かい所の演技にも関心しました。
おざなりなタチヤーナとの踊りや、彼女の手紙を破る所も、実に尊大で、めんどくさくてかったるくて苛々する!というセリフでも聞こえてきそうなオネーギンは、震えてしまいそうなほど恐ろしくて…夢の中のオネーギン、頼むから帰ってきて…と思いました。
ひまつぶしの一環か、オリガにちょっかいをかけるという、友人の嫌がることでさえ平気でしてしまうオネーギンはとても幼く感じました。
いよいよ決闘という時には、レンスキーと和解を試みるような様子があり、少しでも彼にとってレンスキーが大切だったと思わせますが、結局レンスキーは和解を受け入れず、オネーギンは爆発した怒りに我を忘れて彼を殺してしまいます。
自分の感情をコントロールできない、未熟な人物のように思われました。
タチヤーナの厳しい視線にふと、我に返って自分のしたことに気づくと、後悔にさいなまれてか、泣き出してしまいます。
これがオネーギンにとって初めての挫折だったのでしょう、その後の彼はひたすら地獄のような日々を過ごしていたのかもしれないと想像させるように、3幕のオネーギンは、それまでの尊大な様子が嘘のように、背中が少し曲がって小さくなっているように見えました。
この人物を作り上げ、一連の変化を表現したユーゴ・マルシャンには感服です。
彼の踊りも素晴らしくて、1幕のヴァリエーションはあまりに軽々と踊っていて、どのパも力強く滑らか、かつ洗練されていて、特に跳躍の時のラインが美しくて、身震いしてしまいました。
ドロテ・ジルベールのタチヤーナは、夢中になると一筋で自分の意思が強い女性という感じがしました。
2幕のタチヤーナのソロで地団太を踏むように床を強く叩いた所は、なぜ自分の気持ちが伝わらないのかと苛立つタチヤーナの気持ちが伝わり、また彼女の意思の強さも感じられました。
決闘後にオネーギンを見つめるジルベールのタチヤーナの目、何かを決心したように見えて、あの時、彼女の初恋は終わってしまったのだ、と、物語が決定づけられたように感じさせました。
また、3幕のドロテ・ジルベールの変貌っぷりたるや、打って変わって別人のように高貴で、オネーギンもそれは驚くだろうと思いました。
穏やかで優しく温かい、幸せを噛みしめるようなタチヤーナから、夫、グレーミンへの静かで一途な愛情が感じられました。
タチヤーナがグレーミンとともに舞台袖にはける時に、ちらっとオネーギンを振り返って気にするように見る、その表情や目線が大変美しかったです。
ジルベールは上半身がしなやかだと思いました。
1幕のパ・ド・ドゥ後にオネーギンと分かれる際に上半身をそらせて舞台袖へ消えていく所がすごく印象的で、この時に左側の席で鑑賞していて良かった、と思いました。
ラストのパ・ド・ドゥは、タチヤーナとオネーギンの闘いのようでした。
踊りもジルベールをアクロバティックに、まるで放り投げるようにしてから受け止めるユーゴ・マルシャンが凄まじかったのですが、演技も激しかった。
タチヤーナへの懇願に次第に熱が入っていき、髪の毛を乱しながら必死になっていくオネーギン、あれほど全てがつまらない様子で極めて尊大だった男がここまで他人に激しく、全てを投げ打って懇願する様に、胸が苦しくなってしまって気がつくと涙がにじんでしまいました。
ドロテ・ジルベールも応戦、といった形容が相応しい程、鬼気迫るような演技で、途中は客席まで二人の息づかいが聞こえてきて、本当に何かしゃべってるんじゃないか?と思わせるほど凄まじかったです。
これだけ激しく、強烈な懇願を受けてなお、オネーギンを受け入れないドロテのタチヤーナは、最後にオネーギンがすがりつくシーンでもほとんど迷うことなく拒絶していたように見えました。
やはり、彼女は2幕最後の場面で意志固く、彼への思いはほぼ断ち切っていたのではないかと思いました。
それぞれの回でそれぞれのオネーギン、タチヤーナのドラマがあり、二回、別キャストで見れて本当に良かったです。
個人的にジゼルよりもずっと、ずっと良かったです。
もっと欲を言えば、主役2人をもっと別の組み合わせで観たかったとも思います。
しかし、何よりもこの困難な時に最後までこの公演を続け、今この時、このダンサー達が踊るこの作品を見る機会を無くさないで下さったことに感謝したいです。